契丹文字 とは (概略版) 契丹文字【詳細記事】
契丹文字(きったんもじ)は、10-12世紀にかけて、現在の中国北部とモンゴル高原にあたる地域を支配していた半農半牧民族の契丹(キタイ)人によって使用された文字。遼の太祖耶律阿保機が制定したとされる表意文字(契丹大字)と、太祖の弟であった耶律迭剌が制定したとされる表音文字(契丹小字)の2種類の文字が存在する。 契丹大字と契丹小字 契丹大字 神冊5年(920年)1月から耶律阿保機が創案を開始し、同年9月に完成、公布したとされる。契丹大字は漢字を参考・借用して作った表意文字であり、これまでに異体字を含めて1600-1700字程度が知られているが、そのうち、読み方が推定されているのは188字しかない。 契丹大字墓誌痕得隠太傅墓誌(遼穆宗應曆十年[960]五月二十八日) 耶律延寧墓誌(遼聖宗統和四年[986]十一月十八日) 霞里隱大王墓誌(遼興宗重熙十年[1041]十月八日) 可汗橫帳孟父房涅鄰劉家奴詳穩墓誌碑銘(遼興宗重熙二十年[1051]十月二十二日) 奪里不里郎君位誌銘(遼道宗大康七年[1081]三月十五日) 故撻不衍觀音太師墓誌(遼道宗大康十年[1084]六月五日) フリジ契丹國六部遙里撒里必石烈阿縵太師墓誌(遼道宗大安五年[1089]十二月二十五日) 蔑古乃乙辛隱袍里宰相勅葬墓誌(遼道宗大安六年[1090]三月十九日) 大中央フリジ契丹國故西北路招討訛都宛太傅妻永寧郡公主位誌銘(遼道宗大安八年[1092]三月二日) 大中央フリジ國興隱太師妻夫人墓誌碑銘(遼道宗寿昌六年[1100]四月一日) 大フリジ國耶律撒班枢密齊王位誌銘(遼天祚帝乾統八年[1108]五月某日) 大中央契丹國惕隱司仲父房習涅副使墓誌(遼天祚帝天慶四年[1114]三月二十五日) 大金國先父郎君墓誌銘(金世宗大定十六年[1176]八月十一日) 契丹小字 耶律阿保機の弟である耶律迭剌が、多音節言語である契丹語の表記には不便だった契丹大字に代わり、ウイグルの使者から学んだウイグル文字の表記を参考にして創作したとされる。



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